(倭漢三才図会より、適当に訳します)
犬頭社 上和田森崎に在り 社領四十三石
犬尾の社は下和田に在ることも。天正年中の領主、宇津左門五郎忠茂がある時猟をして山に入った。家に白い犬がおり、これが走って従いて行った。一本の木陰で忠茂はにわかに眠気を催した。傍らの犬は衣の裾を咬んで引っ張った、ふと目を開いたが、ややしてまた眠ってしまった。犬は忠茂の顔の前にきて頻りに吠え立てた。熟睡を妨げられたことに腹を立てた忠茂は、怒って腰の刀を抜くと、犬の首を切った。すると頭は飛んで、そのまま忠の眠っていた木の梢に潜んでいた大蛇の首に噛み付いた。忠茂は大蛇の存在に驚き、蛇を切り裂いて家に持ち帰った。飽くまで飼い主を危険から守る犬の忠情に感じ入って、犬の頭と尾を和田村にそれぞれ埋めて、祠を建ててこれを祭った。
徳川家康公がこの話を聞いて、大変に感嘆した。霊験があり人多く訪れるので、この土地を授かった。ところで宇津氏は大久保一族の祖先である。
・・・ ちょっといい逸話と思います。さて、参拝に行く人は頭からお詣りに行くのでしょうか、それとも尾からでしょうか。
それにしても、胴体はどうしたのでしょう? 尾のほうに埋葬されたのでしょうか。
忠犬の人間以上の純朴さには、やはり涙を誘います。
2009年07月11日
オタマジャクシ(蝌蚪)が降る話、蛙が降る話(マグノリア)
昔見た映画『マグノリア』で有名な(というか忘れられない)シーンがある。
蛙が空から降ってくる、あのシーンだ。最近、日本でもオタマジャクシ(蝌蚪(かと))が空から降ってくるというニュースが出た。自分は少し前、これが聖書かなにかに記載されているのではないかと探したことがあるけれども、ついに探せなかった。ところが今日、
@最近下のコメントで「出エジプト記」が関係していること
Aサイクロンやトルネードが河川のオタマジャクシや蛙の卵を巻き上げ、雨に混じって降ってくることがある、という伝聞
を発見した。
出エジプト記(Exodus 8:1 - 8:3)はこのような内容になっている。
大凡の訳はこんな感じで。
主はモーセに言いました。
「ファラオに行って忠告しなさい、『これは、主の仰っていることです-- 私の同胞を行かせなさい。そして彼らが私を崇拝できるように』と。
(Exodus 8:1)
『もしもあなたが、彼らを行かせるのを拒否するならば、私はカエルであなたの全土を満たし、悩ませるでしょう。』
(Exodus 8:2)
『ナイルは蛙でいっぱいになるでしょう、蛙たちは、川から岸に這い上がり、あなたの家の中に侵入し、寝室やベッドの上に満たされ、あなたの召使の家や親族の家に溢れ、オーブンの中に入り込み、台所のボールの中にあふれるでしょう』
(Exodus 8:3)
これをいまさら持ってこれたのは下のスレのおかげで。
http://www.youtube.com/watch?gl=US&v=6sWJuQD0cL8
82のキーワードが何度か出ているとの指摘があり、もう一度見直してみたくなって来ました...。この映画、ストーリーも音楽も抜け目ないと思っていたら、やっぱりものすごく凝っていたようです。
というような、現実的なコメントもありました。、希にある珍現象として、サイクロンやトルネードが河川の蛙の卵やオタマジャクシをすくい上げて雨に降らす、ということで。日本の最近の上空でもちょっとした突風が吹いたということでしょうか...。
(蛙ではなく、実は子 というわけで....)
蛙が空から降ってくる、あのシーンだ。最近、日本でもオタマジャクシ(蝌蚪(かと))が空から降ってくるというニュースが出た。自分は少し前、これが聖書かなにかに記載されているのではないかと探したことがあるけれども、ついに探せなかった。ところが今日、
@最近下のコメントで「出エジプト記」が関係していること
Aサイクロンやトルネードが河川のオタマジャクシや蛙の卵を巻き上げ、雨に混じって降ってくることがある、という伝聞
を発見した。
出エジプト記(Exodus 8:1 - 8:3)はこのような内容になっている。
Then the LORD said to Moses, "Go to Pharaoh and say to him, 'This is what the LORD says: Let my people go, so that they may worship me.
If you refuse to let them go, I will plague your whole country with frogs.
"The Nile will swarm with frogs, which will come up and go into your house and into your bedroom and on your bed, and into the houses of your servants and on your people, and into your ovens and into your kneading bowls.
大凡の訳はこんな感じで。
主はモーセに言いました。
「ファラオに行って忠告しなさい、『これは、主の仰っていることです-- 私の同胞を行かせなさい。そして彼らが私を崇拝できるように』と。
(Exodus 8:1)
『もしもあなたが、彼らを行かせるのを拒否するならば、私はカエルであなたの全土を満たし、悩ませるでしょう。』
(Exodus 8:2)
『ナイルは蛙でいっぱいになるでしょう、蛙たちは、川から岸に這い上がり、あなたの家の中に侵入し、寝室やベッドの上に満たされ、あなたの召使の家や親族の家に溢れ、オーブンの中に入り込み、台所のボールの中にあふれるでしょう』
(Exodus 8:3)
これをいまさら持ってこれたのは下のスレのおかげで。
http://www.youtube.com/watch?gl=US&v=6sWJuQD0cL8
stelutaluidavid
At the begining is show several times the number 82, i am sure everybody notice that. And is showen in so many ways....Then is 2 times "Exodus 8:2" first at the begining of the quitz and 2nd before frogs fall.Maybe are some other times. 1st is in public wrote, 2nd is i the street. And if you look at exodus 8:2 is : "And if thou refuse to let them go, behold, I will smite all thy borders with frogs:" This is all about the frogs....But!!
82のキーワードが何度か出ているとの指摘があり、もう一度見直してみたくなって来ました...。この映画、ストーリーも音楽も抜け目ないと思っていたら、やっぱりものすごく凝っていたようです。
alexalex3131
It has and does happen and it does involve tornados or cyclones, but I think only frog eggs - pre-tadpoles - are swept up, and are carried by storms to any part of the world and while they're being carried they actually hatch in the upper atmosphere before coming down like this. But I don't think they'd have grown as large as shown here.
というような、現実的なコメントもありました。、希にある珍現象として、サイクロンやトルネードが河川の蛙の卵やオタマジャクシをすくい上げて雨に降らす、ということで。日本の最近の上空でもちょっとした突風が吹いたということでしょうか...。
(蛙ではなく、実は子 というわけで....)
2009年04月11日
金婚式
昨日のニュースでもっとも感動的だったもの、それは、天皇陛下、皇后陛下の金婚式についてテレビのドキュメンタリーだった。
古今、新古今のころから国民の健康と繁栄を案じてこられた天皇陛下の、日本の歴史を背負う真摯な思い、ネクタイをはずし、腕まくりし、シャツを半袖にしながら災害地へと歩み寄るその姿勢は、誰よりも真剣で思いやりのある、温かい日本人だった。
日本の誰よりも美しい天皇陛下、皇后陛下がいらっしゃることは、他のどのような政治家がいることよりも誇らしいことであり、自分がこころより日本人として生まれてよかった感じた瞬間だった。
これが昨日最大のニュースであった。
2009年02月20日
ニューディール政策 -- 国家による経済復興と軍需産業、そして戦争へ。
ニューディール政策 -- 国家による経済復興と軍需産業、そして戦争へ。
1920年代後半にアメリカを襲った世界恐慌の再建を試みたのは、民主党ルーズベルトによるニューディール政策であるが、バックミンスター・フラーによれば以下のように書かれている。
ともにバックミンスター・フラー著『クリティカル・パス』(白揚社, 1998年 (原著は1981年出版),p175-177)
現在 オバマ政権が取り上げている「環境産業」の後ろに、同時進行しているもう一つの産業があるとすれば、ニューディール政策の歴史を振り返れば、それは軍需産業である可能性が、極めて高い。それらは、世界恐慌後に大戦があったように、新たな体規模な戦争を幕開けをも感じさせるようなイメージがありはしないだろうか。ともあれ、かつてのニューディール政策に警戒しよう。
それらは大量破壊兵器を景気回復の種にしていた。
1920年代後半にアメリカを襲った世界恐慌の再建を試みたのは、民主党ルーズベルトによるニューディール政策であるが、バックミンスター・フラーによれば以下のように書かれている。
ニューディール政権は、じきにそれらの「国防」に絶対不可欠なものを生産する産業を、われわれの「最重要契約人」とみなすと決定した。「最重要契約人」の産業は、どんなに費用をかけても継続「されなければ」ならなかった。「ではわれわれは最重要契約人に軍需品生産命令を出して、これこれの品を生産させよう。こうして政府承認の契約書をもつ契約人は銀行へ行って資金を借り、諸経費をまかない、材料やエネルギーを買い、賃金を支払って、品物を生産することができる。そこで政府は生産者にその完成品と労働に対して代金を支払い、生産者は銀行からの借金を返すことができる。最重要契約人から賃金として支払われた金は、人々に購買力を与え、人々はそれで他の経済的生産システムを動かすことができるだろう」。このやり方は金融灌漑システムとなり(1980年のアメリカ合衆国の国策には依然使用されている)、政府による各主要な軍需品の発注と支払いが繰り返されて、年におよそ10回の割合で実施されている。
ニューディール政策はまた、「不当に忘れられている人々」の面倒を見ると保証していた。政府は実質的に重要性をもつ最低賃金の設定を決めた。経済は再び活況を呈し始めていた。しだいに多くの人が職を得たが、その人数は政府がどれだけ多くの最重要契約を割り当てるかによっていた。第二次大戦ははっきりと前途に待ち受けていた。ニューディール政策で言われたのは、「われわれは準備しなければいけない」ということであった。そして、政府からの「軍備」のための注文は増加した。職も急速に増えた。空きビルはふさがった。
ともにバックミンスター・フラー著『クリティカル・パス』(白揚社, 1998年 (原著は1981年出版),p175-177)
現在 オバマ政権が取り上げている「環境産業」の後ろに、同時進行しているもう一つの産業があるとすれば、ニューディール政策の歴史を振り返れば、それは軍需産業である可能性が、極めて高い。それらは、世界恐慌後に大戦があったように、新たな体規模な戦争を幕開けをも感じさせるようなイメージがありはしないだろうか。ともあれ、かつてのニューディール政策に警戒しよう。
それらは大量破壊兵器を景気回復の種にしていた。
2009年02月15日
石榴色の苦悩
(ぼくは世界史をよく知らない。適当に思いつきを書いている。読んで反感を抱いたならば、自信を持って自分を信じていただければと思う。)
アルメニア人として、自分たちの言語と文化、伝統を世に知らしめるためにセルゲイ・パラジャーノフが映画「ざくろの色」を発表した後、この映画監督が辿った悲劇をご存知だろうか。独立の危険を感じとったソビエト政府はすぐさま彼を投獄し、そのまま獄死した、という逸話は覚えていてよいと思う。ソビエト崩壊後にアルメニアは国として独立している。確かに優れた人々は国外に移ってしまったかもしれない。それでもアルメニア人には、民族としての長い独自の歴史を持ち、独特の文化を持っていた。つまり独立国としてのふさわしい資格を備えていたことになる。
自分の意匠の提示するために、「取り集めて目の前に置く」というロゴスの稚拙な利用をここに書きのこすことがもし許されるならば、今からぼくは意図的にだけれども、4つの民族を並べて見ようと思う。
1番目、サルディニア。ここは現在イタリアの辺境として知られている。恐るべき田舎、という意味を知る意味でも映画「父」は参考になる。以前サルディーニャを故郷に持つ人が、都会から帰って着て懐かしむシーンがテレビのドキュメンタリーで放送された時、彼は故郷を愛情と憎しみ、文化的過疎地と絶望的な田舎としての恨みを存分に語っていたことが思い出される。
現実には、サルディニアは中世頃にはイタリアの一部ではなかった。スペインの領域に入ったりしながら、独自の言語と文化を持っていたはずの国だった。現在ではサルディニア語だけが残されたが、サルディニアの文化を詳らかに知る人は多くはない。彼らは母国語を文化的辺境の言葉のギャップとして感じ、苦しむように育っている。本来独自の国家たりえた文化が、歴史に侵食され消えてしまった果ての姿をぼくはここに見る。これは歴史の巨大な損失だと、ぼくは思う。
2番目、スペインの一地方である、カタロニア。彼らには旗があるが、今は国とは呼んでいない。しかし輩出した人材の独自性には、強固なものがある。ガウディがそうだし、ジョアン・ミロがそうだ。それからあの有名なダリがカタロニア人である。彼らはカタロニア語を話す。サルディニアと同じ時代にやはり独自の文化を持った国だった。民族性、独自性を保持しつつ、スペインの中で異色を放つ地方としての風格を残している。国として独立こそしていないが、その資質は十分と思われる。
3番目、冒頭に述べたアルメニア。拝火教→初期ギリスト教の時代から独立していたきわめて異質な国であり、ソビエトに統合された。崩壊後に独立した。現在文化の水準ではリードできるほどではないが、確たる歴史と言語が存在すればこそ成し得た独立だと言える。
4番目、新年早々に攻撃を行った国、イスラエル。世界を彷徨い、ユダヤ殺しは20世紀に入るまで、ロシアを含めヨーロッパ全域で行われたため、亡命者を除く純ユダヤ人は「ヨーロッパの空白地帯」である中東に住んだ。国際連盟もない大昔に世界が黙認していたユダヤ殺しに対する復讐劇が、現在非ヨーロッパ人であるパレスチナ人に対して行われているが、嘗て自国の民が残虐した国々の長は、自分たちへの報復ではなく(増え続けている)ムスリムに向けられたことに内心安堵し、これを黙認している。
一般に批判されるようにイスラエル人の被害妄想はきわめて強固であり、根の深い心的外傷だ。これについては、現実にヨーロッパ諸国がユダヤ人に与えた行為の積み重ねでもあり、責任の一端を担うべき部分がある。各地に分散しながらも独自の文化をキープし続ける国民性は強固で、あの右から左へ書く文字の浸透ぶりも独立した国にふさわしい。唯一の問題は、彼らが集合的な心的外傷を克服できていないということであり、これと対峙するには、現実には世界中のユダヤ人に対する蔑視(社会的な、あるいは宗教的な)を改める姿勢が必要である。
以上4つの民族を挙げて言おうとする点は以下のようなものである。人文学的には、独特な文化が時代の渦の中で消失してしまうことは残念なことだ。また最初のサルディニアのように、母国語が存在したはずにもかかわらず、次第に文化が薄れしまい、民族が自らの独自性を「恥じる」という事態ほど、哀しくも嘆かわしい悲劇はない。
またカタロニアに見られるように、文化の独自性をキープしつつ、これをスペイン全体の象徴としてのスパイスとしての効能を果たしている形態が維持されていることも瞠目すべき事実である。そして目下渦中にあるイスラエルについては、カタロニアのような共存の選択について、もう少し考慮いただければとも思う。
パラジャーノフの悲劇は、現実には中国にもある(チベット)。異なる民族意識を力で抑えつけるところに、硬い殻の破れる柘榴色の苦悩は生血を流している。
2008年11月23日
平安以前の伝統色彩と《虹の色》
半年程前になるが、今年平成二十年(2008年)、重要な学者が逝去した。佐竹昭六さんである。
岩波古語辞典の編者の一人であり、萬葉集と今昔物語の研究のなかで日本の古代の深層を探っていた人だ。
けれども、何故かしらあまり有名ではないのだけれども。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E6%98%AD%E5%BA%83
この人が殆んど雑談のつもりで書いた『古語雑談』(岩波新書), 1986 は実は衝撃的な内容を持つ傑作かつ問題作で、そのためか、今月平凡者ライブラリーに加えられた様子。
http://www.amazon.co.jp/古語雑談-平凡社ライブラリー-さ-16-1/dp/4582766552
収められている内容は多岐に亙っていて、「にほう」の2種類「薫」(暖色系の滲出る色彩)と「馥」(香りがたちこめているさま)の違いから始まり、萬葉集で歌われるかけ算について、萬葉集で最も意味不明な歌について。という学者先生っぽい話から、「無力(ぶりょく)」が貧乏の意味だった、あるいは「弁当」、「たのしい」が裕福の意味だった、など、いにしえと現在での意味の違いについて触れる。また七夕祭りにネム(合歓木=ミモザ)の葉や豆の葉を川に流す風習について、貧乏神の風体とそのイメージの形成時(室町時代)について。和歌に字余りができる法則。さらには石川五衛門の釜煎りの刑の詳細(1954/8/24 家族共々)についても言及がある。一読して<とんでもない学者>の本なのだけれども、岩波新書の黄本という実にコンパクトに地味な風体で近くの図書館書架に並んでいる。
(私はこの本をほぼ今から10年前に図書館で読み、主要なところはメモを取っておいたのですが、その抜き出すところ余りにも多く「これはとんだアタリだ..」と、嬉しがっていた大学生でした。)
そして、この書のなかで一番問題かつ決定的な内容について、少し触れておこう(今日は前ふりが長い。申し訳ない)。
最近読んだ本の中で板倉聖宣の『虹は七色か六色か』(仮説社), 2003. がありました。虹の色をアメリカ人が「6色」と答えることに疑問をもった日高敏隆さん始めとする学者人が、「日本には藍色があるから7つに見えるのか」と合点していることを批判した書物です。板倉聖宣さんという学者というか教育者は、国内、海外の発明の歴史に熱心な方で、虹などの光の研究がアリストテレス--ゲーテ--ニュートンに引き継がれている事を常識としている点から、当初はイギリスでも虹は7色だったが教育上の方針で識別しにくい色を省略して6色として教育されるようになったのだ、と海外の教育史の観点から批判したのでした。
しかし、上述の『古語雑談』には、さらに重要かつ深刻な内容が記載されているのを、私は知っていました。「日本には藍色があるから7つに見えるのか」と合点した、と日高さんが思ったのは面白い観点ですが、藍とは、そもそも染料の草の名前であり、「色」ではない。少なくともヨーロッパのred,blue,indigoのような抽象的区分としての<色>ではない、ということです。
日本の伝統色について見ると瞭かなのですが、日本の色彩は文様の名前と一緒に配備されることが多いのです。つまり水玉の模様だね、とか、カシミヤのセーターだね、という観点からは「藍染めの絞りだね」と述べているのですが、抽象的な色としての藍が存在していたわけではなかった。
『古語雑談』では、平安以前の伝統的な色彩として、「赤」「青」「白」「黒」のみを挙げています。
「赤」はそのうちに「黄」「橙」「紫」「赤」を含む暖色として、
「青」は「緑」「藍」「青」、(地方によっては「黄」を含む)とされています。
「白」と「黒」とは光の明暗を指しているわけですから、この意味では虹は平安以前の日本にとっては、赤と青の二色だった、ということになります。
後に伝統色として定義づけられる色はもちろん、「みどり」(新芽)、「くれない」(紅花)、「むらさき」(紫草)という、一見抽象的色彩ではと思われる色名にしても、物理的な草の名称を起源としている、と言及されております。
実際、どう見ても「緑」の信号を思わず「あお」と言いたくなる自分を顧みるときに、「虹の色を七色に分けた」というのが日本人らしくないと感じます。反対にニュートンが網膜に逆さに映る光について発表したり、自然光をプリズムによって分光し、七色と識別した直後に、「光」と「色彩」について、仔細に叙述するような詩作品がイギリスで極端に増加した、と言うような歴史を辿れば、虹の色について、日本は海外から後で学んだのであって、それは、あるいは林羅山が完全否定していた「地動説」と、地上の球体説を受け入れた時期、おそらくは幕末から明治にかけて、と推測することが自然です。
そういう意味では、板倉聖宣の『虹は七色か六色か』の主張は正しいわけですが、『古語雑談』を読んだ人にとっては、「ああ、この人は日本の伝統色の起源というのを《隠し鍵》としてほのめかしているな」と感づくのに十分でした。批判としては適切ですが、『虹は七色か六色か』は若干窮屈な印象を拭えません(反対に日高敏隆さんの『動物の言い分 人間の言い分』(角川oneテーマ21) ,2001. は、虹の話から始まって自由闊達に動物行動学のフィールドを紹介しており、むしろ好感がもてます)。
学者が寄ってたかって2000年くらいに議論し始めた問題について、1986年の時点で予め釘を刺して置いた感じの『古語雑談』。これを書いた佐竹昭六 先生の力量は推して知るべしです。もうすこし沢山著述されていたら、と惜しまれます。
岩波古語辞典の編者の一人であり、萬葉集と今昔物語の研究のなかで日本の古代の深層を探っていた人だ。
けれども、何故かしらあまり有名ではないのだけれども。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E7%AB%B9%E6%98%AD%E5%BA%83
この人が殆んど雑談のつもりで書いた『古語雑談』(岩波新書), 1986 は実は衝撃的な内容を持つ傑作かつ問題作で、そのためか、今月平凡者ライブラリーに加えられた様子。
http://www.amazon.co.jp/古語雑談-平凡社ライブラリー-さ-16-1/dp/4582766552
収められている内容は多岐に亙っていて、「にほう」の2種類「薫」(暖色系の滲出る色彩)と「馥」(香りがたちこめているさま)の違いから始まり、萬葉集で歌われるかけ算について、萬葉集で最も意味不明な歌について。という学者先生っぽい話から、「無力(ぶりょく)」が貧乏の意味だった、あるいは「弁当」、「たのしい」が裕福の意味だった、など、いにしえと現在での意味の違いについて触れる。また七夕祭りにネム(合歓木=ミモザ)の葉や豆の葉を川に流す風習について、貧乏神の風体とそのイメージの形成時(室町時代)について。和歌に字余りができる法則。さらには石川五衛門の釜煎りの刑の詳細(1954/8/24 家族共々)についても言及がある。一読して<とんでもない学者>の本なのだけれども、岩波新書の黄本という実にコンパクトに地味な風体で近くの図書館書架に並んでいる。
(私はこの本をほぼ今から10年前に図書館で読み、主要なところはメモを取っておいたのですが、その抜き出すところ余りにも多く「これはとんだアタリだ..」と、嬉しがっていた大学生でした。)
そして、この書のなかで一番問題かつ決定的な内容について、少し触れておこう(今日は前ふりが長い。申し訳ない)。
最近読んだ本の中で板倉聖宣の『虹は七色か六色か』(仮説社), 2003. がありました。虹の色をアメリカ人が「6色」と答えることに疑問をもった日高敏隆さん始めとする学者人が、「日本には藍色があるから7つに見えるのか」と合点していることを批判した書物です。板倉聖宣さんという学者というか教育者は、国内、海外の発明の歴史に熱心な方で、虹などの光の研究がアリストテレス--ゲーテ--ニュートンに引き継がれている事を常識としている点から、当初はイギリスでも虹は7色だったが教育上の方針で識別しにくい色を省略して6色として教育されるようになったのだ、と海外の教育史の観点から批判したのでした。
しかし、上述の『古語雑談』には、さらに重要かつ深刻な内容が記載されているのを、私は知っていました。「日本には藍色があるから7つに見えるのか」と合点した、と日高さんが思ったのは面白い観点ですが、藍とは、そもそも染料の草の名前であり、「色」ではない。少なくともヨーロッパのred,blue,indigoのような抽象的区分としての<色>ではない、ということです。
日本の伝統色について見ると瞭かなのですが、日本の色彩は文様の名前と一緒に配備されることが多いのです。つまり水玉の模様だね、とか、カシミヤのセーターだね、という観点からは「藍染めの絞りだね」と述べているのですが、抽象的な色としての藍が存在していたわけではなかった。
『古語雑談』では、平安以前の伝統的な色彩として、「赤」「青」「白」「黒」のみを挙げています。
「赤」はそのうちに「黄」「橙」「紫」「赤」を含む暖色として、
「青」は「緑」「藍」「青」、(地方によっては「黄」を含む)とされています。
「白」と「黒」とは光の明暗を指しているわけですから、この意味では虹は平安以前の日本にとっては、赤と青の二色だった、ということになります。
後に伝統色として定義づけられる色はもちろん、「みどり」(新芽)、「くれない」(紅花)、「むらさき」(紫草)という、一見抽象的色彩ではと思われる色名にしても、物理的な草の名称を起源としている、と言及されております。
実際、どう見ても「緑」の信号を思わず「あお」と言いたくなる自分を顧みるときに、「虹の色を七色に分けた」というのが日本人らしくないと感じます。反対にニュートンが網膜に逆さに映る光について発表したり、自然光をプリズムによって分光し、七色と識別した直後に、「光」と「色彩」について、仔細に叙述するような詩作品がイギリスで極端に増加した、と言うような歴史を辿れば、虹の色について、日本は海外から後で学んだのであって、それは、あるいは林羅山が完全否定していた「地動説」と、地上の球体説を受け入れた時期、おそらくは幕末から明治にかけて、と推測することが自然です。
そういう意味では、板倉聖宣の『虹は七色か六色か』の主張は正しいわけですが、『古語雑談』を読んだ人にとっては、「ああ、この人は日本の伝統色の起源というのを《隠し鍵》としてほのめかしているな」と感づくのに十分でした。批判としては適切ですが、『虹は七色か六色か』は若干窮屈な印象を拭えません(反対に日高敏隆さんの『動物の言い分 人間の言い分』(角川oneテーマ21) ,2001. は、虹の話から始まって自由闊達に動物行動学のフィールドを紹介しており、むしろ好感がもてます)。
学者が寄ってたかって2000年くらいに議論し始めた問題について、1986年の時点で予め釘を刺して置いた感じの『古語雑談』。これを書いた佐竹昭六 先生の力量は推して知るべしです。もうすこし沢山著述されていたら、と惜しまれます。
2008年11月09日
バングラデシュで50年ぶりの竹の花。そして舞い降りた《不吉》の正体
http://www.unicef.org/infobycountry/bangladesh_45358.html
(半年前のニュースになりますが。BBCのドキュメンタリー(podcast)で流れていたのを昨夜聞きました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/竹
にも紹介されているとおり、
Melcanna baccifera の花
実際に、インドからやや北東に位置するバングラデシュで、先回の1959年から50年ぶりの2006年頃から、バンブー(竹の仲間のMelcanna baccifera)が花を咲かせはじめた。2006年7月の時点では、竹の花が林の30%を覆う現象がインド北部で見られた。そして、上の記述そのままに、2008年7月にバンブーラットと呼ばれるアフリカタケネズミ(=Tachyoryctes)が大発生した。

``bamboo rat'' by soggydanアフリカタケネズミ(に近似のそれ)
普段は竹の根や筍などの柔らかい部分を食べており、巣穴に蓄える性質がある。また竹の枝に登ることもできるという。急に咲き出した「竹の花」は、嘸ぞ美味しかったことだろう...。
林から農村に下りてきたバンブーラットの群れは、米や小麦などの穀物75-90%を食い散らし、収穫が壊滅状態に陥ったために、夏から食糧援助などが行わている。
これらのバンブーラットは、ミャンマーやベトナムでは食用で市場などに売られているらしいが、今回の大発生は数千匹から数万匹という規模で畑を荒らすので、現地の人も勘定できないほどだという。眼はついているがあまり視力の良い生き物ではなく、African mole ratsなどと呼ばれる。ただしモグラ(食虫目)ではなくネズミ(齧歯目)なので、穀物を食べてしまうところが厄介だ。
民家に入ってくることはなく、警戒心はそこそこにあるらしい。上に引用した文では「またインド北部では、竹が花を咲かす頃、農作物を守るためにネズミ駆除の準備を始めるなどの対策をし、成果を上げている」とあるが、「竹が花を咲かす頃」が50年に一度という頻度のために、捕捉計画も企画倒れの感が拭えない。今度はうまく対策できるのか、2058年頃が気になる。
取り敢えず、こんな動物が日本に生息していなくてよかった、と沁み沁み思う。
(半年前のニュースになりますが。BBCのドキュメンタリー(podcast)で流れていたのを昨夜聞きました。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/竹
にも紹介されているとおり、
* 竹の花が咲くと不作、不吉の前兆だという民間伝承がある。
竹は種類によるが、前述のように数十-100年に1度花を咲かせ、結実し枯れる。この実をネズミ等が好んで食べ、大繁殖して農作物に被害を与える、というのがこの伝承の根拠のひとつ。花が咲くと竹が枯れるのは事実で、近年、中国四川省ではジャイアントパンダの生息地付近の竹やぶで大規模に花が咲き、食物となる竹が枯れるため多数のジャイアントパンダが保護を必要としている。またインド北部では、竹が花を咲かす頃、農作物を守るためにネズミ駆除の準備を始めるなどの対策をし、成果を上げている。
Melcanna baccifera の花実際に、インドからやや北東に位置するバングラデシュで、先回の1959年から50年ぶりの2006年頃から、バンブー(竹の仲間のMelcanna baccifera)が花を咲かせはじめた。2006年7月の時点では、竹の花が林の30%を覆う現象がインド北部で見られた。そして、上の記述そのままに、2008年7月にバンブーラットと呼ばれるアフリカタケネズミ(=Tachyoryctes)が大発生した。
``bamboo rat'' by soggydanアフリカタケネズミ(に近似のそれ)
普段は竹の根や筍などの柔らかい部分を食べており、巣穴に蓄える性質がある。また竹の枝に登ることもできるという。急に咲き出した「竹の花」は、嘸ぞ美味しかったことだろう...。
林から農村に下りてきたバンブーラットの群れは、米や小麦などの穀物75-90%を食い散らし、収穫が壊滅状態に陥ったために、夏から食糧援助などが行わている。
これらのバンブーラットは、ミャンマーやベトナムでは食用で市場などに売られているらしいが、今回の大発生は数千匹から数万匹という規模で畑を荒らすので、現地の人も勘定できないほどだという。眼はついているがあまり視力の良い生き物ではなく、African mole ratsなどと呼ばれる。ただしモグラ(食虫目)ではなくネズミ(齧歯目)なので、穀物を食べてしまうところが厄介だ。
民家に入ってくることはなく、警戒心はそこそこにあるらしい。上に引用した文では「またインド北部では、竹が花を咲かす頃、農作物を守るためにネズミ駆除の準備を始めるなどの対策をし、成果を上げている」とあるが、「竹が花を咲かす頃」が50年に一度という頻度のために、捕捉計画も企画倒れの感が拭えない。今度はうまく対策できるのか、2058年頃が気になる。
取り敢えず、こんな動物が日本に生息していなくてよかった、と沁み沁み思う。
2008年08月25日
『最後の授業』ランディ・パウシュ
『最後の授業』ランディ・パウシュを読み終えた。
今日で没後ちょうど1ヶ月。昨年9月18日にカーネギー・メロン大学で感動の講義をしていたのをDVDで見た。あの頃はまだ元気そうだったのに、今年7月25日に亡くなっていて、その後でぼくはこの人のことを知った。
講談社の初版は6月18日、手元の4版が7月14日。その頃まではまだ生きていた。もう彼はいない。1ヶ月、瞬く間だ。
本のできは講義よりも少し劣るかもしれない。
でも生半可な小説では、彼のような命懸けのドキュメントには決して勝てないだろう。
ただなんとなくすることと、本当にしなくてはならないことには、線を引いたようにはっきりした違いがある。
自分の為すべきものがはっきり見えるような生き方がしたい。そう思った。
今日で没後ちょうど1ヶ月。昨年9月18日にカーネギー・メロン大学で感動の講義をしていたのをDVDで見た。あの頃はまだ元気そうだったのに、今年7月25日に亡くなっていて、その後でぼくはこの人のことを知った。
講談社の初版は6月18日、手元の4版が7月14日。その頃まではまだ生きていた。もう彼はいない。1ヶ月、瞬く間だ。
本のできは講義よりも少し劣るかもしれない。
でも生半可な小説では、彼のような命懸けのドキュメントには決して勝てないだろう。
ただなんとなくすることと、本当にしなくてはならないことには、線を引いたようにはっきりした違いがある。
自分の為すべきものがはっきり見えるような生き方がしたい。そう思った。
2008年08月09日
カール・ベッカー著「日本史から世界が倫理を学べるか」
倫理的叡智を求めて
島薗進, 西垣通など、それぞれに最新の分野に精通している人々からなる倫理についての論文集『倫理的叡智を求めて』の中に、カール・ベッカー著の「日本史から世界が倫理を学べるか」がある。
日本の多元主義国家の発起点を「大化の改新」という神仏混合に据え、肉食の禁止を「効率的な蛋白源補給」という多角的な視点で日本の文化と伝統の特殊性、先進性を追求している。また、日本の真珠湾攻撃とインドネシアの石油問題の関係など、近代史をわかりやすいトピックで説明している意味でもとても重宝する。
それにしても、人口密度が潜在的に自給生息可能な人口の5倍に達しているという国が日本だったのか、と、本題から外れたところでも変に考えさせられる文章だった。とてもよい論文で、読んで満足した。
島薗進, 西垣通など、それぞれに最新の分野に精通している人々からなる倫理についての論文集『倫理的叡智を求めて』の中に、カール・ベッカー著の「日本史から世界が倫理を学べるか」がある。
日本の多元主義国家の発起点を「大化の改新」という神仏混合に据え、肉食の禁止を「効率的な蛋白源補給」という多角的な視点で日本の文化と伝統の特殊性、先進性を追求している。また、日本の真珠湾攻撃とインドネシアの石油問題の関係など、近代史をわかりやすいトピックで説明している意味でもとても重宝する。
それにしても、人口密度が潜在的に自給生息可能な人口の5倍に達しているという国が日本だったのか、と、本題から外れたところでも変に考えさせられる文章だった。とてもよい論文で、読んで満足した。



